◯富田さんの思い出の「場所」
■津新町駅までの通学路(友と歩いた田圃のあぜ道)
仲の良い友達や電車通学をしている友達と下校時に津新町駅まで談笑しながら田圃のあぜ道を歩いたあの懐かしい下校細道。でも大変貴重な時間でした。もちろん途中立ち寄る喫茶店はありません。◯富田さんの思い出の「光」や「音」
■蛙の声、正門とソテツ、青空に聳える長谷山・経ヶ峰
当時は津高の周辺は田圃に囲まれ、特に梅雨時には蛙の鳴き声で賑やかでした。また津高正門のどっしりした構えとその前の立派なソテツの植木。そしてまた校歌にもある青空に映える長谷山と経ヶ峰の山々は、周辺の住宅が少なかっただけに懐かしい風景でした。
昭和20年代、30年代卒業の先輩方に聞くと、津新町駅から通学路を歩き出すとすぐから津高の校舎が見えてきた、てよく仰るよね。
へぇ~、僕らの頃には(昭和40年代後半には)家は連なっていたなぁ。でも、田んぼは結構残ってたし、今と比べると長閑だったなぁ。
この地図は富田さん卒業から5~6年後のものだけど、なるほど、通学路沿いのあちこちに田圃はあるね。新町通り沿いにしてもそんな感じに読めるね。
ほんとだね・・・・ところで、津高と新町小学校との間、今テニスコートになってると思うけど、そこに「津高校長宅」てあるよね。
そう、昔はここに校長先生の公邸があったんだって。そういうステータスだったのよ、津高の校長先生は。偉いんだから。
こうやって昔のゼンリン地図とか見るのて、とても面白いし楽しいね。
津市図書館にもあるけど、県立図書館とかには1965年版以降のゼンリンの地図が全て保存されてるのよ。
ところで、津新町駅に向かう通学路沿いに、今でも一つだけ田んぼが残ってるのよ。それがこれ。
残っているというのもある意味で凄い。通学路の水路も今ではフタ付きで整備されてるし、道幅も見違えるように拡がって見えるよね。
「津新町駅までの談笑が楽しい貴重なひととき」て、10分ほどよね。寄り道とかしなかったんやね。
そうやなぁ。僕らはというと、談笑しながら「今日、どこ行く?」て感じだったもんな。
おやつの相談。暗黙の寄り道(笑)。
「フォーゲル」とか「南風」とかの喫茶店は富田さんの時代にもあったとは思うけど・・・・
まっすぐお家に帰る・・・・う~ん、ムリ(笑)。
だけど、昭和30年代とかって、そもそも外食とかの習慣もあまり無かったわけだし、高校生が立ち寄るようなスポットとかは多くは無かったんだよね。
これは1965年のゼンリンの地図。当時の津新町駅前の様子。
近鉄東海ストアとかも無いし、駅前ロータリーもまだ整備されてないね。
「フォーゲル」「南風」はあるし、何軒かの食堂はあるね。
あと、津東映や三重野書店はあるわね。
もちろん今で言うファストフードの店とかは無い。
ファストフードとかの外食が街に増えたのも昭和40年代半ば頃かなぁ。
そう、富田さんが卒業されて10年後ぐらいかな。それこそ「近鉄東海ストア」が出来たり、駅前ロータリーが整備されてからだよね、寄り道が生活習慣になったのは。
その時以来よね、あなたの生活習慣病は(笑)。
ハイ、経済成長の恩恵。やっぱり、富田さん世代や大先輩たちのお蔭様だね。
今はデフレ経済なのに、あなただけはずっーと成長し続けてるような・・・・
さて、話を変えて、津高から山側、西側はどうかな。学校の周辺には住宅や店舗が確かに増えているけど、それでも少しばかり西に歩けば田園地帯だし、昔と変わらぬ姿で長谷山と経ヶ峰を広々と見晴らせるよね。
経ヶ峰と長谷山のコンビて、見る角度によって違った感じに見えるんよね。
コンビて漫才師みたい。どっちがボケで、どっちがツッコミ?経ヶ峰が大助で、長谷山が花子?
そう、そう、そんな感じ。経ヶ峰は後ろ盾という感じがするね。
これが、安濃とかから見ると、親子のようにも見えたりね。
長谷山は親離れしようとしてる子供みたいなね。
何と言うことも無い平凡な山の形だけど、人にとって風景、景色というのはそれ自体がかけがえのない思い出だもんね。
おっ、もしかして「いい話」してる?
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