飯田(浅山)宏先生[1949(昭24)年津中卒]
在籍期間:1955~1967年

記憶に残る出来事(担任として明・暗)

◆文化祭でクラスが優勝
出し物何にするの相談も一声“合唱”。クラスの中で進学志望に音楽系を選んだのが8人の女傑?この8人が中心になり、演出は勿論、情熱を込めた指導、そして練習、1ヶ月の成果が見事優勝。抱き合って喜んだ(後日談 平成30年、同窓会が鳥羽であり、宴会の最中に電報が届く。“米寿”の祝電、差出人は8人の女傑?から。“心憎い”女傑、未だ健在。
◆校舎が全焼
突然の出来事、生徒にとっても大事な時期に全焼とは。応急処置として体育館を間仕切って教室に。天井のない教室、隣の授業が聞こえる、聞こえる中で、精神的にも大打撃。でも、生徒達は、持ち前の心強さ、明るさをもって、この不幸な出来事をよく乗り切ったと思う。

(個人として明・暗)

・在職中に体操競技東海選手権大会で、種目別と個人総合で優勝。この刺激を受けたのか、生徒が県大会で団体と個人総合で優勝。津高の名を高めたことであった。
・校舎全焼に関連して同僚が自殺(未遂)したことで、刑事から再三にわたり尋問を受けた。

近況

70歳で始めたマジック。90歳になった今日、センターで老人相手に楽しんでいる。