若林英郎先生[1965(昭40)年津高卒]
在籍期間:1993~1998年

津高校5年間の思い出

私は平成5年4月、辻通隆先生の定年退職に伴い、社会科教員として母校である津高校に赴任した。当時、三重県では様々な教育改革が実施され、一番の目玉が「高校入試における群制度の廃止」だった。この時、津西高校や四日市高校などは新しい学科、コース等を導入したが、津高校では井坂剛校長のもと、様々な議論が行われ、最終的に「あえて特別な学科、コースは設けない」という結論になった、と記憶している。一方で、いち早く「二学期制」を導入し、さらに「マレーシア研修旅行」を実施することとなった。
私は地理教員であり、また山岳部顧問でもあった。この頃、山岳部は部員も少なく、活動は不活発であった。そこで、何とか山の魅力を伝えたいと思い、顧問の河北冠先生と相談し、夏山合宿は3000m級のアルプスへ出かけることとした。即ち、奥穂高岳(3190m)、剣岳(2999m)などである。ただ、参加者は1~3名と寂しい限りであった。ところが、河北先生が三重県教育委員会に転勤した平成8年、たくさんの新入生が入部し、多い時は実働20名を超える部員がいた。この年から3、4年間が一番クラブ活動の活発な時期ではなかったか。当時、新入部員は1年間で必ず鈴鹿7mt.に登るようにしていた。夏山合宿は加藤真人先生と2人で、平成8年は八ヶ岳の赤岳(2899m)に7名(写真参照)、平成9年の槍ケ岳(3180m)は男女合わせて13名を引率した。また、入道ヶ岳の越年登山(12/31日~1/1、頂上幕営)は懐かしい思い出である。
なお、平成8年8月、加藤先生と私は「三重県高等学校登山部顧問団」の一員として、初の海外遠征登山に参加した。即ち、モンゴルの最高峰フィテイン(4374m)に登頂できたのが一番の喜びであった。この遠征で、モンゴルの広大なステップを走り、遊牧民のゲルを訪問し、氷河の上を何時間も歩いたことは、地理教室として最高の思い出となった。
私はこの5年間、様々な業務(三重県高体連登山部専門委員長、分会長、教務主任等)の関係で担任をしていなかった。平成10年、私は51歳、定年までの残り9年、これからも津高校に勤務し、担任として生徒達と一緒に、充実した教員生活を送りたいと思っていた。ところが、急な人事異動による転勤で、その願いが果たせなくなったのが本当に残念で、いまでも一番悔やまれる所である。