山田盛隆先生
在籍期間:1973~1990年
担当科目:国語
担当部活:演劇部

1 先生にとって津高とは

三重県で最初の赴任高の職員会議では、「芝居好きな連中の集う大学を出たのだから、演劇部の顧問を」と、理由はそれだけ。高校に演劇部のあることを初めて知った。津高校に来ても「演劇部はどうですか」で始まった。

2 津高での思い出

国語の教師でありながら、思い出に残る話題は演劇部にある。体育館の裏には部室があって、朝ここを通らなければ教室に入れない。
国語の授業で教科書の朗読は演劇部の部員に助けられた。また、国語の授業から演劇部の部員が育った。「もの云う術」の場である。ところが「聞けない」「話せない」。話し言葉の実践。今に至るまで国語教育の盲点である。
国語科の教師。学校図書館の事務も語れば尽きないが、これらはすべて公務、話題もままにはならない。部活動となると相手は生徒。演劇部員は良くしゃべった。
津高校の生徒は、学年が変わってもどこにいても大人の自覚があった。意見の対立もしばしばだが、話題も尽きず、ここが楽しかった。

3 近況

「全世界は劇場なり」とシェイクスピアの名言。出身大学の演劇博物館のラテン語の半円アーチに今も残る。
「芝居の好きな連中の集う大学」とは、よくも気付いてくれた。演劇部顧問は退職まで続いた。
退職後は津演劇鑑賞会に併せて県文化会館演劇ホールのお手伝い。国内の劇団がお相手である。