阿部幸夫先生
在籍期間:1992~2003年
担当科目:理科(物理、地学)
担当部活:テニス部

「火のエネルギーを秘めているから、動かざる山に畏敬の念を抱く」

阿部幸夫

平成前半を物理の教員として過ごし、授業中のおやじギャグで寒がられていました。現在は、津市のド真ん中にある岡三証券のプラネタリウム横にある実家に戻り、物理実験室を作って新しい教材を作ったり、教科書などの実験の検証をしたりして楽しんでいます。
私がお世話になっていた約10年間の津高は、制度が大きく変わった時代でした。群制度から単独選抜に戻り、県下の進学校がコース制を取ろうとしていましたが、「津高は全クラス平等に進学校」という理念で、「学習の中身を充実させる余地の確保」を目的として、2学期制や65分授業に舵を切っていきました。「会社あるある」の1つだと思いますが、大企業ほど、また実績を上げた成功体験のある組織ほど、失敗を心配して動くべき時に動かず、チャンスを逃してしまうといわれます。津高校も「伝統」と「進取」で葛藤をした時代でしたが、私は「『しない』理由探しより『する』ための条件整備」を大切にしていました。そんな激動の一時代の中で、私自身も勉強をさせてもらっていたのだと回想しています。
さて、津高を去ってから15年以上経ちました。その間に、東日本大震災や多くの気象災害を経験しました。「爆弾低気圧」「線状降水帯」という気象用語が生まれたのも、観測技術が「100年に一度」の急激な進歩があったからと、捉えています。また、今、日本も世界もコロナ禍の中に喘いでいますが、同時に多くの人々が医療科学の領域で研究と支援を続けているのではないかと思います。きっと。あの時授業で対峙した卒業生達もいろいろな現場で使命感を持って戦ってくれているのだろうなあ、と想像しているところです。津高校はSSH事業に取り組んでいます。若い時代からの社会の抱える課題に気付き、自主的に取り組んでいける環境があるのは、私のような昭和を高校生として過ごした者にとっては羨ましく思います。今日、明日の課題(生徒の時は目前の試験?)にしか目がいかないのは、大人も子供も同じですが、遠い先に夢を持って、何かに固執しながら、何を変えるべきかを考え続ける大切さを教えてくれたのは、津高校としての3年、教員としての10年でした。
私は、もうじき70歳で、家の片づけを始めています。終活ですね。しかし、今も高校、大学の教壇に立ちながら、自分がいなくなった先でも使えそうな教材の研究を続けています。教壇で倒れるまで頑張っていければと思っています。JFKみたいに。あ!凶弾でしたか。お後がよろしいようで・・・。
2021年7月