堀元昭先生[1954(昭27)年津高卒]
在籍期間:1974~1987年
担当科目:数学

1 先生にとって津高とは

私にとって“津高とは”「私の人生そのものです」。

2 津高での思い出

幼い頃から津中学校の近くに住んでいた私は、この学校にとても憧れて居ました。
昭和26年4月に三重県津高校へ入学した当時は柳山の校舎でした。真新しい学生帽の校章は先輩と同じ六稜でした。同年6月には「三重県津高等学校」の校章のサンプルが廊下に貼り出され、我々生徒が投票し、新しい校章は今の『津高』と決まりました。(注:現在の校名と異なり、当時は「三重県津高等学校」でした。)
間もなく柳山の校舎から現在の校舎へ移転することになり、机と椅子の連結した木製の大変重いのを一人一脚ずつ運びました。途中、修成小学校の運動場で休憩しながらでした。
昭和29年に卒業し、昭和49年4月に津高に数学の教諭として奉職しました。初年度は1年生の担任でした。生徒会主催の新入生歓迎オリエンテーションで“クラブ紹介”がありました。壇上に立った生徒会長は挨拶の途中で『今、紙飛行機を飛ばしたのは誰だ』と新入生を律しました。卒業生の私も驚きました。しかし津高生の自主自律の精神ここにありと感心していました。
クラブ活動は「電気部」の顧問で、必修クラブは「無線クラブ」でした。アマチュア無線を志す生徒諸君もかなり居ました。理科棟の屋上に部室をあてがわれ、部員達の協力で送信機や受信機を持ち込みアンテナを張り、先輩から受け継いだJA2YALの基地局が出来、放課後は世界中の不特定多数のHAM局との交信をするなど生徒達と楽しい毎日でした。
現在、弱電方面(無線やオーディオ関係等々)へ進んで活躍している諸氏も数多くいます。彼らに刺激を受けた私のアマチュア無線は生涯の趣味になりつつあります。

3 近況

令和3年7月で八十路の半ばを過ぎた今、国内のHAM仲間との交信を日々楽しんでいます。やはり、アマチュア無線は私にとってもKING OF HOBBYです。
幸い健康にめぐまれ、まだ頑張らなければと想っています。