八田貴明先生
在籍期間:2010~2018年

津高校8年間の思い出

同窓会からの原稿依頼が届いたとき、津高校での在職期間は8年間とそれほど長くはないので、わたしでいいのか?と正直驚きました。しかし、このような機会はないと考え、津高校在任期間での思い出に触れたいと思います。
私は2010年~2017年の間、担任(主に文系)として、社会科教員(主に日本史)、そして、硬式野球部の顧問として関わらせていただきました。
それぞれでの濃厚な日々があり、多くの生徒、先生との出会いはわたしにとってかけがえのないものとなっています。なかでも、硬式野球部での経験は今でも、ほんの2、3年前の出来事として、甦ってきています。「東大」と「甲子園」のスローガン(阿保先生の発案)を掲げ、8年間で3人が実際に東大へ合格したこと、徳島県の池田高校との練習試合をしたこと、愛媛県の松山商業高校へいき、初回に10点以上とられ、じいさんたちに何しにきたんや!と言われたこと、北大津高校で相手打者の打球が、私のふくろはぎに当たってもんどりうったこと、打者の強烈な打球が投手の頭に当たり、救急搬送され緊急手術を受けたこと、野手の送球がこめかみに当たり、もう少しずれていたら失明してたこと、中勢地区競技会で津商、津西をおさえて優勝したこと、夏の大会で1回戦で勝利したあと相手校からもらった千羽鶴を当時の主将が闘病中の方へ届けて欲しいと、それを聞いて涙を流したことなど枚挙にいとまがありませんが、その硬式野球部での経験の中でありえない練習試合について書きたいと思います。それは6月に毎年、京都の洛星高校へ遠征に行っていました。練習試合は一般に、二試合を行うわけですが、まず1試合目は、9回の表を終わって5、6点のリードで、おそらく勝てると私が慢心してしまい、普段、あまり投げない投手を起用したら、何と、逆転サヨナラ負けとなりました。相手をなめていたわけではありませんでしたが、私自身の大木な反省として記憶に残っています。ここまでは、よくある話ですが、2試合目がすごかった。前半から、相手の一方的な展開となり、10点以上の差をつけられ、敗色濃厚となり、9回裏を迎えました。そこから怒涛の攻撃が始まり、10点以上の差をひっくり返して逆転サヨナラ勝ち!野球経験者ならわかると思いますが、こんなことが、自分の目の前で現実に起こったことが今でも信じられませんでした。鳥肌が立つとは、まさにこのことです。硬式野球部の顧問として30年以上関わっていますが、今でもこの試合のことは、忘れられません。でも、それをやってのけたのは当時の生徒たちで、最後まであきらめない姿勢で全員でつないでいった。そして最高の結果を見せてもらったことにただ感謝しかありません。
現在、私は野球部の顧問をおこないながら、時間に都合がつけば、伊勢市の観光案内人を定期的にやっています。全国からの参拝客の手助けになればとおもい、はじめました。しかし、コロナ禍で中止になったりと、おもうような案内ができていません。しばらくは我慢しなくてはならないですが、いずれは何もなかったかのような日がくるものと信じて毎日をおくっています。
最後に津高校と原稿依頼をしていただいた同窓会の発展と皆様方のご活躍を祈念いたしまして私からの報告とさせていただきます。