中川はるみ先生[1975(昭50)年津高卒]
在籍期間:1991~2001年
担当科目:生物
担当部活:卓球部

『高校在職中の思い出と近況』

34歳の時、母校に赴任して10年在職した。10年間担任を続けて、4回の卒業生を送り出し、約400名の生徒に関わった。少し母校に戻るのが早かったかなとも思ったが、振り返ると、この時期だったから授業・補習・テスト作りなど頑張れたように思う。転出の頃には、親の介護も始まりつつあったので、良いタイミングであった。
さて10年間担任だったが、十クラス十色で、毎年クラスの雰囲気も違えば、いろんな生徒がいたなあ。クラス行事の文化祭やクラスマッチ、また修学旅行も中九州・赤倉スキー場・北九州のハウステンボスの時と、私自身が生徒気分で旅行を楽しめた。一方で少々手を焼いたA君、高3で手術入院をして心配したB君。そして一番悲しい思い出となったCさんのこと。この文章を書いている間もいろんなことが思い出される。自分が学生の時も教師であった時も、周りには多才な能力を持つ人が多く、しばしば驚かされた。特に教師の時、津高生はいざとなると持てる限りの能力を発揮して、難関を見事に乗り越えていくと感じた。そのような生徒を相手に結構思ったことを自由に言わせてもらい、自然体で勤められたのは津高生の「神対応」ならぬ「大人対応」に救われたところが多かったと感謝している。ちょうど津高在職中に総会パーティーの学年幹事のサブ学年に当たり、その年はメッセウイングで開催し、忙しい中でも一回り上の先輩方や同級生と楽しくできたことも良い思い出である。
そして今の私はというと、平成29年3月に定年退職をして、その後は三重県立看護大学高大連携特任教授という仕事をいただき、今に至っている。推薦入試関係や推薦入試合格者に対して生物の入学前指導をしている。毎日出勤という訳ではないので、季節の良い時期は海外旅行を楽しんでいたが、コロナの感染拡大で現在はストップ。それでも日帰りくらいでお花見や美術館などには出かけている。海外旅行では時にアクシデントもある。例えばフィンランドへサンタクロースに会いに行った時は、スーツケースに足を引っかけて椅子の角で左眉を切り出血。でもあまりの低温で観光中も化膿もせず絆創膏で済んだ。ただ、一週間ほど左目パンダみたいだった。また、ウユニ塩湖の旅行では、岩塩でできたホテルに宿泊したが、ここの廊下で足を滑らせて左肘を強打。打ち身だったと思ったが、帰国後整形外科でひびが入っていますねと。というように、観光以外の思い出もたくさん残っている。早くコロナが終息して、また旅行に出たいとうずうずしている。後は公民館で太極拳を月2回習っているが、覚えが悪くなかなか身につかない。それから月3回書道を習っていて、お手本を頂き家で書いたものを添削してもらうという繰り返し。年に2~3回は書道展にも出品しており、今年は東京謙慎書道展で思いがけず秀逸に入賞し、嬉しい驚きだった。現職時は教える側だったが、退職後は教えてもらう側になり、新鮮な気持ちになれる。中国では太極拳と書道をしていると長生きできると言われているらしいので。今後も元気にいろいろ楽しみたいと思っている。