坂部勝美先生[1960(昭35)年津高卒]
在籍期間:1985~1995年
担当科目:数学
担当部活:バレーボール部(男子)
1 津高とは
多くの人と出会え、多くのことを教えてもらった母校、すばらしい母校です。
勤務させてもらったときも、生徒に対して心の底に先輩後輩という気安さみたいなのがあったのか、居心地の良い日々を送らせてもらったと思っています。
2 津高での思い出
修学旅行と噴火
津高でお世話になったのは2度。最初は16才~18才、高校生として。2度目は45才~53才、教員として。その2度とも修学旅行で火山噴火に出くわすことになりました。高校2年で先生に引率してもらって登った阿蘇山、火口でガイドさんから説明を聞いている最中に“ドカーン”。先生やガイドさんの「逃げろ!!」に、先生も友達も、クラスも班も、ほったらかして下山しました。翌朝の「熊本日々新聞」に“三重県の高校生登山中噴火”との記事。引率の先生のコメントも載りました。
それから33年後、高校2年生の担任。10月5日出発の九州修学旅行の準備もほぼ出来上がった6月3日、雲仙普賢岳が噴火、火砕流で43名もの犠牲者を出す恐ろしい自然災害が起こりました。
修学旅行の予定には、島原での一泊、半島周遊もコースになっていました。協力いただいている旅行会社から「代替のホテルが確保できない」との悲鳴の連絡が入りました。500名以上の人を、言ってすぐ受け入れるホテルを見つけるのは無理でしょう。修学旅行実施がピンチでした。その後の関係者の努力と修学旅行委員を中心とする生徒全員の「島原の皆さまへ少しでもお見舞いを」の運動が天に届いたのだと思います。
「旅行団を2つに割って宿泊」かと悲しい決断を迫られる場面もありましたが、最後には全クラス11組がまとまって無事修学旅行を終えることができたのでした。
3 近況
孫からもお呼びがかからなくなって、毎日が自分だけの時間です。少しの畑仕事を楽しんでいます。頭と身長は減少傾向、薬とテレビのボリュームは増加傾向です。