亀井カノン先生
在籍期間:1964~1977年
1 先生にとって津高とは
昔も今も、古典に通じ、革新をめざす若人たちが、明るくのびのびと育つ、自由で平和を愛する学園であり続けてほしい。
2 津高での思い出
運動場での着任式にごく短い挨拶をしました。「私の座右の銘は“Laborare estorare(ラボラーレ エストラーレ)”です。よろしく。」とそれだけ。その夜、寄宿舎の舎監第一夜の私を古参の舎生たちが手荒く歓迎してくれました。廊下のオルガンに私を招き座らせると、手に手に持った怪し気な楽器もどきを打ち鳴らし吹き鳴らし、口々に「ラボラーレ・ションベンターレ!」と叫ぶのでした。私はもううれしくてうれしくて、唯一何とか弾けた曲「猫ふんじゃった」を際限なく繰り返して、彼等の歓迎に応えたのでした。あの舎生たちは今何処に?
3 近況
その後、私は高校教員に転じ、最後は自分の出身校=津実高(定時制)の学校改革に取組みました。その原動力となった「全校陶芸活動」を支え導いて下さったのは、津高の陶芸家・川喜田敦(二代半泥子)でした。氏の恵まれない子等に向ける温い眼差しと、永く続いた献身的なご支援が実り、現「みえ夢学園高校」は生まれました。ここに記して、心からの感謝を申し上げます。尚、その校地(柳山)は、旧三重県立高等女学校(津高同窓会)の跡地です。新校舎の設計に当り、昔日をしのぶよすがとして、屋上に往事風の小塔を設置してあります。これはまた、終戦後の同校草創期には津高校(定時制)であったことを思い出させてくれます。その頃、同校は、貧しくて津高校を中退して就職した青年たちが向学心断ち難く、改めて夜間に学ぶ、言わば第二の津高校でもありました。