奥山重康先生[1968(昭43)年津高卒]
在籍期間:1990~2001年

1 私にとって津高とは

自分の母校でもあり、教師としても沢山の思い出が残る懐かしい存在です。津高教員として過ごした11年間は、私にとって本当に楽しく、充実した日々でした。この紙面をお借りして、当時お世話になった先生方、生徒の皆さんに心より感謝申し上げます。

2 津高の思い出

まず思い出すのは、赴任して最初に担任した学年(平成5年卒)の、故池山光次君のことです。事故直前の日の放課後、教室前の廊下を通り過ぎた私に、後ろの戸を開けて彼が顔を出し、「先生、さようなら」と声をかけてくれたのです。私も振り返って「さよなら」と答えたのですが、その時の彼の声、表情は今も私の脳裏にはっきりと刻まれています。葬儀に参列したクラスや友人の皆さん、K君の弔辞・・・。あの時の悲しみと「彼の分まで生きるんだよ・・・」と、心の中で生徒の皆さんに呼びかけ、そして自分自身にも誓ったことは今も忘れません。
この学年の修学旅行、宿の大広間での余興で、月輪先生の「マイク回し」(歌の途中、コードを持ってマイクを振り回す)の凄ワザに仰天し、さらには芸達者な男子生徒諸君が、私の授業の物真似をして結構うけ、その巧みさに感心した私も興に乗って、飛び入りで一曲歌わせてもらいましたが、これは楽しい思い出です。
平成8年卒の学年の修学旅行は赤倉で、降りしきる雪の中のスキー研修、リフトから落っこちる人がいたり、思い出すことは多々ありますが、印象に残っているのはやはり宿での余興大会です。部活ごとのステージ発表で、硬式野球部の人達が出ている時でした。K君が生きたままの金魚をごくんと飲み込んでしまいましたよね。あっけにとられましたが、あれは一体・・・?
平成11年卒の学年は主任だったので、修学旅行でも警備担当の為余興大会は見ることができず、むしろエネルギーの有り余った皆さんのおかげで、一睡もさせてもらえなかったことを思い出します。
平成15年卒の学年を1年間担任しましたが、人事異動の為、これが津高での最後の年となりました。クラスの皆さんが送別会を開いてくださったのが嬉しく、記念に頂いてネクタイは今も大切にしています。
振り返れば、津高在職中の思い出は尽きません。

3 近況

週に2日、市内の高校で授業を担当しています。若い新鮮な感覚に触れて、そのエネルギーをもらっています。津高在職の頃から趣味のサイクリングは、コロナ禍の為、この2年間程思うように出かけられないでいます。早くコロナ禍が収まって、大好きな琵琶湖畔を風をきって走りたいな・・・、と思っています。