井坂剛先生
在籍期間:1992~1996年
担当科目:校長
津高在職中の思い出
津高へ赴任してまず感じたのは校内に漂う“文化の匂い”の雰囲気だった。津高校は自分の知っている高校とは違うんだ、と分かっているつもりでいたが、当時津西高校が非常に勢いがあり、ついつい進路指導の先生方にあれこれお願いしてしまうこともあった。そのうちに、何か違う、間違っているのではないかと自問することが多くなっていった。
やがて8月になり、津高同窓会が開催された。都ホテルのメイン会場に入りきれず、センターパレスまで満杯になってしまう数百名に及ぶ出席者だった。熱気に圧倒されそうだった。こんなにも多くの人が青春時代を懐かしく思っておられるのかと驚いた。
同窓会は、たとえ1日だけであっても、100年以上の時空を超え、叡智、理想、希望、様々な感情、その他すべてのものが凝縮された“津高等学校”がそこに再現することに他ならない。津高校の伝統は、この同窓会に集まってこられる同窓生の皆様方が育て上げてこられたものだろう。
毎年5月末には東京の普門館で全国高等学校長会総会があり、約3,000人の校長が集まる。平成5年の総会の時だったと思うが、席を離れ、会場の後ろの壁にもたれていたら「津高校の校長先生ですね」と声をかけられた。振り向くと講演で来ておられた三浦朱門先生ではありませんか。「服部先生はよく津中の話をしておられましたよ」と気さくに話しかけてくださいました。服部先生とは、勿論、日本言語学会の重鎮で、東京大学名誉教授だった服部四郎先生のことです。津高の生徒さんたちは、こうした立派な先輩の暖かい気持ちに支えられているのだなと、改めて実感した。
東京同窓会では、岡三証券会長の加藤精一様から教材を購入して教育活動に役立ててほしいと、多額のご寄付をいただきました。当時ではまだ最先端の機器だったプロジェクターを購入し、物理の授業を中心に使わせていただいた。活用レポートは送らせていただいたが、学校としての感謝状を差し上げなかったことを今もって悔やんでおります。
平成4年度あたりから高校教育改革の大きな波が押し寄せ、生徒の個性尊重、多様化に対応するために、また学校独自の特色を出すために、多くの学校で様々な学科の改編などがなされた。津高には美術科を設置してはどうかと県教委から強い要請があった。旭丘高校をはじめ、全国のいろいろな高校を訪問して情報を集め、検討したが、津高は普通科だけで行くのが良いだろうという結論に達した。
20年間続いてきたいわゆる学校群制度が平成7年度から廃止されることになり、それぞれの学校は特色ある学校案内を作るのに懸命であった。そんな中、平成5年の12月に生徒会顧問の沢口哲弥教諭がいかにも手作りの感覚の手作り感覚の1冊のパンフレットを校長室へ持ってきてくれた。表紙には「吾輩は津高である」とあり、漱石が右手に「津高のすすめ」を握っている絵が描かれている。編集は津高等学校生徒会執行部となっており、私の手に届いた時にはもうすでに校区内の多くの中学校には配布済みだったようだ。当時の津高の大方の先生たちは、このパンフレットの存在をご存じではなかったであろう。校長会などで、学校案内の作成が話題になるたびに、生徒会の諸君が作ってくれた“吾輩は津高である”に勝る学校案内はないだろうと誇りに思っていた。
その巻頭言は、生徒会長の浮嶋寛之君が書いている。“偏差値に振り回されてはいけない。自分の「勉強」ができるような学校、充実した高校生活が送れそうな学校を自らの手で選択することこそが最も重要だ。その参考になれば”と、この冊子作成の主旨を述べている。
“自由”“伝統”“部活動”などを各章で取り上げているが、第4章の生徒会行事に特徴がある。“学校5日制”“どうする群解消後の津高”などをテーマにした、先生を交えての公開討論会。中部科学技術センター主催の東海地区高等学校ディベート大会に津高が出場し、「原子力発電は日本に必要である」と言う命題で、名古屋西高校と対戦。肯定側の津高が勝利した。津高校の行動力、幅の広さが良くわかる。
この学校案内パンフレットには津高生が日ごろ感じている生の声がそのまま書かれているので、中学生にもとてもわかりやすく、学校が編集したそれとは大違いである。これぞ津高校生ならではの学校案内となっている。
もう一つご紹介したいのは、平成8年3月23日から28日にかけて実施したマレーシア海外研修である。日本の将来を支えていく人材の集まる津高であってみれば、自分の肌で直接に外国に触れることは大切である、との考えのもとに、海外研修を企画した。
当初、先生方の反応は今ひとつだったが、生徒さんたちからは32名の応募があり、早速、事前研修が行われることとなった。簡単なマレーシア語、英会話、イスラム教徒であるマレーシアの人々の生活習慣、政治・経済など各分野の責任者を決めて数回にわたり研修会を実施した。引率は事前調査にも行って下さった小林秀則教頭、冨田正宏教諭、阪村幸代教諭にお願いした。現地では学校訪問、ホームステイ、近隣の人々とのパーティー、マレーシアの日本デンソー工場見学など充実した研修旅行となったと、報告をいただいた。
日本デンソーの工場見学については、マレーシアへの事前調査の段階から役員の皆様方より懇切丁寧なご助言、ご指導を賜り、本当にありがたいことだった。津高初めての海外研修が無事に成功裏に終わったのも多くの方々のご協力のおかげである。
近況報告
教職生活の最後の4年間を津高で送らせていただいたことをとてもありがたく思っています。今は109歳になる老母と二人暮らしです。月に1度の高校時代の友人たちとのコンペを楽しみに練習に励んでいます。畑仕事は、年中、草との戦争。日曜日には教会の礼拝に出席させていただき、牧師様の淀みのない流麗な話しぶりに感動しては、自分の拙かった授業を思い出しては反省しきりです。