富田さんの懐かしい思い出やエピソード 「まとめ」

80年の人生を今振り返ると種々あったなと改めて実感します。
残念ながら津高時代は僅か3年間でしかも毎年500名の仲間がクラス替えをしたため、印象深いものはすぐには浮かびません。
私は父の仕事の関係で東京で生まれ、3-4歳の時に戦争で実家の津へ帰りました。祖母の背中でおんぶされながら津の中心地からの燃える火を見たり焼夷弾の落ちる音を感じながら古川の奥地に疎開したこと。そこで小川の小魚を追いかける楽しさもありました。戦後食糧難の中でサツマイモを中心とした食事でも近所の友達と夜遅くまで遊んだりしたのも今から想えば懐かしい時代だったと思います。
今は小豆島に来て45年が経過しますが仕事で出張の際は時々津に立ち寄り懐かしい友達と一献を交わしながら旧交を温めております。私にとって今でも矢張り津は大切な大切な故郷であり今後もずっと続くでしょう。
今回津高の創立140周年本当におめでとうございます。今回の事業が盛大に挙行されますよう小豆島から応援しております。頑張って下さい。

(自社のショールーム「一徳庵」で自ら客人の案内をされる富田さん)
「一徳庵」
https://ittokuan.com/hpgen/HPB/categories/12183.html
(津市の戦災地図  「写真で見る津の昭和の50年」より)
(焼野原となってしまった中心市街地  「写真で見る津の昭和の50年」より) 
Bさん

津には疎開したはずだったのに、あの空襲にみまわれてしまったという話は、時々耳にするね。

Aさん

戦前生まれの皆さんにとって、「こころ旅」の原点はやっぱり戦争の記憶に「とうちゃこ」するんだね。

Bさん

祖母に背負われながら見た津の町が燃える炎や、耳にした焼夷弾の音とかは、何年経ってもきっと記憶に焼き付いているわよね。

Aさん

そういう壮絶なご経験から始まって、高度成長を牽引され、そして小豆島の今に至ってるんだね。

Bさん

なんか、やっぱり、津高の不死鳥「蘇鉄」のイメージとダブルなぁ。

Aさん&Bさん

富田さ~ん!、拙い旅の添乗員でしたが、「こころ旅」は如何でしたか?御来津の折には、是非また津高にも足を運んでくださいねぇ。「蘇鉄」共々、富田さんの「とうちゃこ」を同窓会一同お待ちしておりま~す!!

(了)