富田さんの思い出の「人」
■三重大学のお兄さん
毎朝登校途中で決まった時間、決まった場所(位置)で会った大変大柄な学生さん(多分三重大学教育の柔道選手)と遠慮がちに会釈をしていましたが、半年位からお互い笑顔で大きな声で挨拶をして卒業まで続いたお兄さん。

Bさん

いい話よね。

Aさん

何かね、目に浮かぶよね、映画のシーンみたいに。朝はだいたい生活のリズムが一緒だから。

Bさん

「学芸学部」の学生さんなのよね・・・・探せるかな?

Aさん

え?いや、いや、いや、いや、「探偵!ナイトスクープ」にでも頼まんと難しいでしょ(笑)。

Bさん

三重大学、学芸学部、柔道部、津新町駅から通学・・・・・

Aさん

卒業されて教職につかれてるか、それとも、柔道部というと警察とかお堅いお役所とか?

Bさん

お年は今80代半ば・・・・同世代で津高から学芸学部に進学されて先生になられた方・・・・

Aさん

以外に灯台下暗しで、津高の教員になられてるとか・・・・・?いや、いや、いや、いや、やっぱり今後の課題ということにさせてもらいましょう(涙)

(旧文化会館~松菱百貨店界隈  ゼンリン住宅地図 津市 1965年版より)
Aさん

その頃のゼンリン地図によると・・・・なるほど、三重大学の学芸学部は今の市役所のところ、大学の本部は法務局のあたりにあるね。

Bさん

昭和41年に学芸学部は教育学部に改称、そして、昭和44年だね、ここから上浜の今の三重大学に移転したのは。

Aさん

そう、同時にその時に工学部も設置されている。

Bさん

ちなみに、この本館の跡地に津市役所が出来て移転したのが、さらに10年後の昭和54年。

Aさん

私が社会人になった年、うん、それぐらいかな。そのあたりからは記憶もシャキっとしてる。

Bさん

昨日のことは忘れるのにね。

(三重大学学芸学部 丸之内校舎 昭和39年  「三重大学教育学部創立百年史」より)
Aさん

あと、少し横道にそれると・・・・

Bさん

横道、寄り道、好きだもんなぁ。

Aさん

ゼンリンの地図をよく見ると、お城の西の丸跡に「県立図書館」もあったんだよね。今では日本庭園になっているあたりかな。そう、そう、津高のルーツ、藩校時代からの赤い「入徳門」も残されているよね。

(津城西の丸跡  入徳門)       (津城西の丸跡日本庭園 旧県立図書館)
Bさん

私らが通った「県立図書館」は大谷町の「博物館」の隣りの頃だから、それより以前ってことよね。

Aさん

ここ西の丸跡にあったのは戦後から昭和42年まで。その後は私らが知る広明町の「県立図書館」や「博物館」の時代。それも今となっては「旧」だね。現在の「県文」(三重県総合文化センター)へと「県立図書館」が移転したのは平成6年(1994年)のことだね。戦前も含めて、この辺はウィキペディアに結構詳しく書かれてるね。

三重県立図書館(ウィキペディア

Bさん

私らもそろそろ「旧」かな?

Aさん

(危険を察知、ノーコメント)・・・・お城端にあった「文化会館」も図書館や博物館と一緒に一身田の方に移ったよね。そしてその跡地はというと津の「警察署」になっている。

Bさん

お世話にならないようにしてね。

(旧文化会館~松菱百貨店界隈  ゼンリン住宅地図 津市 1965年版より)
Aさん

さらに横道にそれると・・・・

Bさん

え~、大丈夫ぅ?、戻って来れるのぉ~?

Aさん

懐かしい「旧」の「文化会館」の近くには「中華楼」ていう中華料理屋さんもありました。

Bさん

うん、あった、あった!!

Aさん

実は、葛山則子さん(昭和41年卒)からも、西の丸跡の「県立図書館」ともども「中華楼も懐かしい」というお便りを頂いてます。

Bさん

子供の頃、松菱とかにお出かけしてから中華楼でごはん、そんな思い出が津ぅの多くの人にあるよね。

Aさん

「鯉の丸揚げ」は中国では最高のもてなし料理なんや、とかなんとか、親からよく聞かされたのを覚えてる。

Bさん

結局、食べ物に行くわけね、話の向きは。

( 「中華楼」界隈  ゼンリン住宅地図 津市1965年版 三重県立図書館所蔵)
(中華楼のあった通りの今 パノラマ写真)
Aさん

残念ながら今は無くなってて、中華楼の跡地は駐車場になってるね。

Bさん

文化会館が無くなってから、この通りを歩く機会は減ったかなぁ。

Aさん

でも、たとえば津高の近くの「聡集苑(そうしゅうえん)」さんとか、「中華楼」の出の店主がその味を引き継いでるよね。店の方に尋ねると、「中華楼を思い出すなぁ」と言ってくれるご高齢のお客様も多いんだそうな。

Bさん

「町中華の殿堂」的なお店よね。お昼時には何代か前の某校長先生もご贔屓でした(笑)。

Aさん

さてと、「中華」から「鰻」に戻りますか。

Bさん

え、鰻?、あぁ、「新玉亭」さんね・・・・富田さんのお住まいは現在の「新玉亭」さんのすぐ隣りだったから・・・・あ、あった。ここから津高へ通学となると・・・・普通に考えたら、西堀端通りをずーっと南に歩いて新町通りに出て、そして踏切を渡って学校に向かうわよね。

( 「おはよう!」ポイントは聖心カトリック教会付近と推定)
( ゼンリン住宅地図 1965年版より) 
(現在の西堀端通り)
Aさん

一方、三重大学のそのお兄さんはと言うと、どこからかは分からないけど、南の方から西堀端通りを北に歩いてきて、そして学芸学部のキャンパスに入っていくんだよね。

Bさん

・・・・ということは、やっぱりこの辺よね、「おはよう!」て言葉かわすのは。

Aさん

そう、きっと西堀端通りの中ほど、「聖心カトリック教会」あたりに決定だな。はい、「とうちゃこ」(笑)。

Bさん

なんかムリムリ感はあるかも(笑)。

(西堀端通り カトリック教会前)
Aさん

いや、毎日微妙にはズレるだろうけど、ここで「おはよう!」と挨拶したことも絶対にあったはず。

Bさん

何か段々そう思ってきた。

(西堀端通り カトリック教会前)
Aさん

ホレ、見えてくるだろう、向こうから白い柔道着を肩にかけた角刈りのお兄さんが近づいてくる・・・・もちろんその帯は黒だからね・・・・そして道着は白、今のように青とかは無い時代だから・・・・遠くに富田さんを認めるや、「おぉ」て感じで笑顔で近づいて来る・・・・、こっちからは富田さんだよ、当時は学生服かな?・・・・新町通りの方から歩いてくるお兄さんを遠くに認めるよね・・・・すると富田少年からはハニカミ気味の笑みがこぼれるわけよ・・・・そして聖心カトリック教会の前あたりでぇ・・・・「おはよう!」だよ・・・・。

Bさん

はい、カットぉ!

~~旅は続く~~ その7