(旧友との真夏の大冒険編)

心に残っている友人と言えば三年生の時に同じクラスだった永井涼くんでしょうか。話がとても合って、よくつるんでいたように思います。彼は、中学の時は野球部で活躍していたはずなのに部活もせず勉強に一生懸命でした。そんな永井君が、高校三年の夏だったかに、突然早稲田大学を見に行こうと言い出しました(彼は早稲田が第一志望だったのです)。そのころの私は予備校のパンフレット集めに熱心で、もちろん東京に大学の下見に行ける成績でもなかったのですが、どうにかこうにか両親をだまして一緒に東京に出発しました。

なんせ二人とも初めての東京です。東京駅に着いても早稲田への行き方がわかりません。高田馬場駅の近くであることだけは知っていたので、環状線である山手線に乗っていけばいつか着くだろうと、緑の電車に乗り込みました。

電車に乗ってすぐに、永井くんが耳元で「振り向いて窓から外の景色見るなよ、田舎者と思われるから!」と強めに(笑)ささやきました。その言葉は未だに忘れられません(笑)。生涯初の花の都の風景が見たいのに、ガチガチに固まって車内をひたすら見つめているかわいい高校生達でした。その後、永井くんは現役で見事に早稲田に合格し、卒業後は中京銀行の頭取まで務められたようですね。大学時代には時々連絡を取り合ったりしていたのですが、大学を出て以来全く会っていません。機会があれば、酒でも飲みながら(今はコロナで厳しいですが)当時の思い出話でもしてみたいところです。

Aさん

分かる、分かる、僕もあるなぁ、大学の下見と称した「真夏の大冒険」(笑)。「あるある」だよね。親も説得しやすいし。

Bさん

茨木さん、さすがの描写よね。山手線に乗ってる茨木さんと永井さんが漫画のようにして目に浮かぶわぁ。

Aさん

今でも僕なんか東京に出張したときとかはキョロキョロしてると思う。

Bさん

気が付かなかったけど、そう見られてるわけね。

Aさん

今度からスマホをずーっと見続けるようにしとこ(笑)。

Bさん

ジグザグしてるようでいて、ちゃんとゴールに向かってるのは流石よね。

Aさん

若い頃から「友情・努力・勝利」(「少年ジャンプ」のスローガン)を地で行ってたのかな?(笑)

Bさん

折角だから永井さんにも珍道中の思い出を語ってもらいましょう。

(昭和51年卒 永井 涼さんからのメッセージ)

突然、二人で早稲田下見に出かけたのは、それなりの理由があったのです。当時、バイク好きの同級生、田辺君から「青春の門(筑豊編)」(五木寛之著)を借りました。読書が嫌いな私は、小学生で読んだ「フランダースの犬」くらいしか記憶にないのですが、結局読破しました。その結果が“大学は早稲田しかない!”と、強く感化されてしまったのです。

茨木君は早くから一浪志望?で早稲田志望?でしたから、今すぐでも行きたい早稲田偵察にはもってこいの相棒で、“相手を見てみないと!“と唆して決行したわけです。私はこの偵察で志望先を関西の国立大から早稲田に変えたのです。これが“田舎者東京珍道中”の真相です。

Bさん

キャ~、タートルネック、懐かしい!結構いたよね、あの頃。

Aさん

縁が無かったです。

Bさん

あなたの首、太いもんね(笑)

Aさん

「青春の門」からの「早稲田大学」かぁ、わかるわ。この共感て、たぶん昭和世代までだよな。

Bさん

何せ「フランダースの犬」から突然「青春の門」だもんね。

Aさん

インパクト大だね(笑)。

Bさん

茨木さんの「一浪で早稲田」というのも並々ならぬこだわりだったみたい。

Aさん

うん、確かに「一浪で早稲田」というのは、たとえばだけど「一浪で慶応」とかとは何か違う、独特の箔が付いているような感じはするよね。「お勤めご苦労様です」的な(笑)。

Bさん

ちょっとお~、それって・・・・

Aさん

しかも、茨木さん、ご自身でもプロフィールで仰ってるけど「一留」なんで、もうねえ、金バッチものですよ。

Bさん

しばらく会ってないみたいだし、いつの日にかお二人には酒も酌み交わしながら東京珍道中の思い出話に花を咲かせて頂きたいね。

Aさん&Bさん

永井さ~ん、寄稿、ありがとうございました!

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