(食欲編)
もちろん帰る頃にはとてもお腹がすいています。帰り道に新町通りにあった「どさんこ」で食べた味噌ラーメンの美味しかったこと!近鉄東海ストアの「すがきや」、駅前ロータリーに面した「さりぽろ」も鉄板のお店でした。そして、名前は忘れましたが、新町通りに「ふくとん」(だったのかな?)という店があり、一串10円(だったような・・)の串を食べ、ちょっとした大人気分を味わったりしていました。

Aさん

クラブの後は腹減るよねぇ。

Bさん

それぞれに贔屓のオヤツ処あったよね。

Aさん

あった、あった、津高生の「空腹満たし処」ね。

Bさん

そんなにガッツリ食べてたの?

Aさん

いやぁ、食べてる先からお腹は空いてきてたもんなぁ、そんな年頃よ。

Bさん

あなたは特別よ(笑)

Aさん

茨木さんの場合、ほぼ同世代なんでノープロブレム、全て了解、全て共感できるね。

Bさん

「どさんこ」「さりぽろ」「スガキヤ」は津新町駅界隈定番のラーメンスポットだったわね。

Aさん

「どさんこ」は新町通り沿い、三重野書店さんのならびだったよね。さらにその隣りには「花」というお店もありました。昭和50年前後のこと。いずれも今はないけれどね。昭和50年前後の津新町駅前界隈て、だいたいこんな感じやなかったかなぁ・・・・。

昭和50年頃の津新町駅前界隈
(現在 左から三重野書店・どさんこ・花が並んでたところ)
Bさん

「花」も懐かしい。女子は多かったかも。

Aさん

「どさんこ」は新町から古河の方に移転してその後も長らくやってたし、働き出してからのお昼ご飯ではちょくちょくお世話になりました。

Bさん

高校時代の延長でそのまま食べ続けてたからそんなんになっちゃったわけ?

Aさん

いや、あそこの店主のおばさんは凄くてね、常連さんの車が前に停まると同時に「はい、味噌と小ライス」「はい、塩バター」とかスタッフに言って作り出すわけよ。

Bさん

凄い。あなたは何て言われてたんやろ?

Aさん

味噌チャーシュー大盛、かな。

Bさん

アカンでしょ(笑)

Aさん

その古河の「どさんこ」も閉めて、今ではその場所は「すき家」になってるね。

Bさん

「さりぽろ」は駅前ロータリーに面したバス乗り場のところだった。「どさんこ」や「さりぽろ」とかで「札幌ラーメン」というのを知ったよね。

Aさん

そうそう。北海道ではラーメンにバターいれるのかぁ!?みたいにね、中華そばが主流だった当時としては斬新でした。

(現在の津新町駅前ロータリー バス乗り場)
(昭和50年代はじめの駅前ロータリー 左側に「甘党の店 さりぽろ」の文字が見える)
(「写真で見る津の昭和50年」より)
Bさん

大杉啓二さん(昭49年卒)からも「さりぽろ」が懐かしいとの声を会報アンケートで頂いてます。

Aさん

「どさんこ」か「さりぽろ」かと言われると僕も「さりぽろ派」だったな。

Bさん

でも、高校の頃のお小遣いを考えたらやっぱり「スガキヤ」だったよね。

Aさん

「スガキヤ」を懐かしむ声は多いね。茨木さんもよく行ったと言ってた。あと、中居美幸さん(昭和58年卒)からもアンケートで頂いてる。実際、同級生との間でも「スガキヤ」は昔話で盛り上がる鉄板ネタなんだよね、今でも。

Bさん

今は無き「近鉄東海ストア」(俗称“近スト”)の二階だったね。

Aさん

「素」ラーメンに始まり、「玉子入り」、「肉入り」、そして最上級が誰もがうらやむ「特製ラーメン」、今で言う「全部のせ」だったね。普段は「素」ラーメンでも、テストの出来が良かったときとか、何かいいことあったら肉入りとかね。まぁ、小遣い次第だったけど。

Bさん

ソフトクリームやクリームぜんざいとかもあったよね。

Aさん

半世紀たった今でもクセになってて、何かいいことあったら条件反射的に「スガキヤラーメン」が食べたくなる、いや、事実食べてる(笑)。昔と違って躊躇なく「特製ラーメン」を大人食いしてるぜ(笑)。

Bさん

体のこと考えたら、逆にそろそろ「素」ラーメンにするか、いっそのことトコロテンにしといた方が・・・・(笑)

(懐かしの近鉄東海ストア)
Aさん

「近鉄東海ストア」(近スト)には、“ベーカリー”の「ロンドン」とかもありました。パンに生クリームというのもね、当時としては感動ものだったなぁ。

Bさん

“JUN”とか、あったんちゃう?

Aさん

あぁ、“じゅんとネネ”な、♪愛するってこわい、やったかな?

Bさん

ちゃうわーい!ファッションブランド、VANとか、JUNとか、知らんの?

Aさん

あぁ、はい、はい、はい・・・・合うサイズが無かったんで関心無かった(笑)。

Bさん

可哀そうに。

Aさん

あと、“レコード”の「愛曲楽器」だとか、「別所書店」とかはよく覗いたなぁ。「屋上」は良い子は近寄れない危険地帯という噂もあった?(笑)。

Bさん

隣りのビルには「ロッテリア」とかもあったような。あと「三交ボウル」もあったね。

Aさん

大杉啓二さん(昭和49年卒)は授業をサボってボウリングした思い出があるとか。

Bさん

その頃ってボウリングブームのピーク、結構な待ち時間だったよねぇ。

Aさん

須田開代子、石井利枝、そして「さわやか律子さん」の中山律子ね、盛り上がってたよね。

Bさん

でも、授業さぼって、というのはなかなかよね。

Aさん

僕が行ってたのは御殿場口の「グリーンボウル」だっけな、今、「グランドボウル」として残ってるところ。あそこの貸し靴係のおばさんには「あんたたち何年生?、こんなとこ来てていいの?」みたいに教育的指導を頂いてました。

Bさん

あんたもかい!

(今の津新町駅前 近鉄東海ストアはマンションに様変わり)
Aさん

ところでさぁ、当時の「スガキヤ」の情報を少し調べられないかなと思って「スガキヤ」の本部にメールで問い合わせてみたんだよね。

Bさん

さすが、食がからむとマメでらっしゃる。

Aさん

そしたらさ、ご了解も頂いたのでそのまま紹介させてもらうけど、速攻で次のような親切なメールを頂いて、軽く感動したんだよね。

(スガキコシステムズ株式会社 お客様相談室から頂戴した回答)
Aさん

どう?、感激でしょ?、もうね、ファンの心を鷲づかみよ(笑)。

Bさん

胃袋もでしょ。

Aさん

「何かいいことあったとき」に今でも行ってるあの店のあの店長さんが、実は「近鉄東海」の頃から働いておられた方だと聞けば、そらもうねぇ、突撃取材するしかないっしょ?

Bさん

翻訳すると「スガキヤのラーメンが食べたくなった」ってことね。

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