(津高とのつながり編)
校則も厳しくなく(あったのでしょうか?笑)、田舎の学校にしては珍しく制服も無く、勉強しなくても先生方もうるさく言わない高校。現在、出版社というユルユルな会社に身を置くことになっているのも、間違いなく津高校の影響です。末永くいつまでも自由な高校であって欲しいと願っています。
最後になりますが、もう時効だと思うので懺悔話を一つ。当時、私は家からサンダル履きで通っていました。あろうことか、そのサンダルのまま校内に上がって過ごしていたことをここで初めて告白します。いつの日か、廊下を磨きに行きたいと思っております。お許しください。申し訳ありませんでした。
世間に残ってる「とんでも校則」がいまだに話題になることが多いけど、津高て校則を意識したことってほとんど無かったんじゃない?
校則てあったのかな?(笑)読んだ記憶、諭された記憶て、あまり記憶にないなぁ。僕が「良い子」だったてことだろうけど。
単にアウト・ローだっただけじゃないの?
ところで、「津高の私服」というのは当時の三重県内では異例だったし、その是非や意見はあるとしても、「私服」と言うこと自体が津高の一つのアイデンティティだったようには思うよね。その歴史はどんなだろう?いつ頃、誰が、どういう見識でそう決めたのだろう?
それがねぇ、津高史のバイブル「創立100周年記念誌」をずーっと手繰っても、「私服化」に触れてる記事がひとつも無いのよ、不思議なことに。
戦後の新制の津高になったとき、校則はあるけどそこで私服にするとは触れられてない。それはつまり「私服」と積極的に決められたわけではなくて、「制服」が定められなかったということなんだろうかね。
制服の指定がないので、結果的に私服で通学しだしたてこと?
うん、あくまで推論。何か諸説ありそうだね。先輩の皆さんからお教え頂きたいところ。
お便り待ってま~す!
だけどさぁ、茨木さんのサンダル履きは私服の津高でもさすがにカジュアル過ぎよね。
欧米化?(笑)。下駄箱での履き替え無しのスルーて、ICカードで乗り換え自由て感じで、快適そう。僕もそうしたらよかったな。
いや、アカンでしょう(笑)
でもな、茨木さんのエピソードを読んで思い出したんやけど、某北村治郎先生とか常に雪駄履きやったな。生徒もそうですが、先生方も自由奔放、自主自律でした(笑)
茨木さんの「こころ旅」は、下駄箱が最終的な「とうちゃこ」なん?
そう、「とうちゃこ」(笑)
茨木さ~ん、下駄箱で「とうちゃこ」らしいです。
下駄箱は、茨木さんの「こころ旅」というよりは「こころ残り旅」?「こころの凝り旅」?
時効成立?
いやいや、是非とも「こころ残り」「こころの凝り」は解消してもらいましょうよ、いつの日にか。
茨木さ~ん!、ドブネズミ色ではなく特別に真っさらな雑巾をご用意しときますので、是非とも母校にもお立ちより下さ~い!!あぁ、それと、卓球部への差し入れもお忘れなくね!